中学・高校の課題「ベートーベン」調べ学習その2

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ベートーベンの生涯

中1 次女画(迫力は・・・すごい。)

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幼少期

神聖ローマ帝国ケルン大司教領のボンで、父ヨハンと宮廷料理人の娘である母・マリアとの間に

長男として誕生しました。父親も宮廷に仕えるテノール歌手でしたが音楽能力も人格的にも持ち合わせていませんでした。

ベートーベン一家の経済を支えていたのは、ベルギー出身のバス歌手で宮廷楽長に昇進していた祖父でした。しかし、祖父が3歳の時に亡くなってしまい、祖父の人望や経済力をあてにしていた一家は、途方にくれます。

さらに、父ヨハンは、亡父の後任として宮廷楽長に任命されると思っていましたが、別の人物に決まると怒りと不満を酒を飲むことで紛らわし、わずかな残りの家族のお金も酒代となっていく日々・・・

そのころ、すでに有名になっているザルツブルグの神童(神様のこどものように才能がある)モーツァルトの話を耳にするようになった父は、ベートーベンに音楽の才能があると気づくと、考えられない程のスパルタ教育で音楽を教え始めます。ときには暴力を伴うほどの教え方だったと言いますが。

 

14歳年上のモーツァルトは、宮廷での御前演奏や、イタリアへ演奏旅行を3度もするなど、数々の栄誉と名声をすでに手にしていました。

モーツァルトのようにしたいと願った父は、ベートーベン7歳の時に、コンサートを開きます。

本当は、7歳だったのを父が見栄をはって、「6歳だ」といってコンサートをしたという話が残っていますね。6歳で天才ピアニストだといわれていたモーツァルトを常に意識していたのです。父の口癖は、「モーツァルトのように!」

いつも、ベートーベンにそう言っていたそうです。

 

師に恵まれ、作曲のすばらしさを知る

 

その後11歳の時、良い先生に恵まれ、(恩師ネーフェ)ピアノの他にオルガン、ヴァイオリン、ヴィオラなどを習い、作曲のすばらしさを教えてもらいます。

14歳で宮廷のオルガン弾きになり、初めてお給料をいただきます。

 

1787年(16歳)憧れの「音楽の都」ウィーンへ音楽旅行に行きますが、到着するかしないか、父より「母、危篤」の知らせが入り、急いで家へ帰ることになります。

母が亡くなった後も、お酒ばかりのんでいる父は職も失ってしまいます。

ベートーベンは、小さい弟の世話をしながら、一生懸命音楽に励み、一家を支えました。

 音楽家ハイドンとの出会い 「ウィーンへ」

21歳になったころ、古典派音楽で有名な作曲家ハイドンと出会います

ベートーベンの才能を認めたハイドンが、作曲を教えてくれることになり、

生まれ故郷のボンを離れて、ウィーンへ移り住みます。

たくさんの友達や宮廷楽団の仲間、ピアノを教えた貴族の姉妹など、ウィーンへ旅立つ前には

心のこもったお別れの会が何度も開かれたようです。

人望が厚かったんですね。

 

 

ウィーンで作曲を学びながら、曲を作り、貴族のこどもたちにピアノを教えたり、

特にリヒノウスキー侯爵の家で開かれる演奏会で一躍人気ピアニストになりました。

求められ、すぐに作曲してしまう即興演奏が得意だったのです。

 

リヒノウスキー侯爵は、自分のお屋敷にベートーベンを住まわせてくれたり・・ととても音楽が好きな方でよくしてくれました。

その後、生活も落ち着いたころ、ウィーンへ弟2人も呼び寄せて、暮らしだします。

リヒノウスキー侯爵のお屋敷をでて、オペラの作曲をするために劇場の2階に弟と住むこともありました。

沢山の音楽家や貴族と演奏会を通じて知り合い、ときには、リヒニウスキー侯爵と長い旅に出かけ、その途中も曲をつくり、ベルリンで出会った国王に音楽を聴いていただくなど、たくさんの機会と運に恵まれます。

 

たくさんの名曲

1798年 ベートーベンが耳に異常を感じ始めた頃に作曲されたといわれているピアノ・ソナタ「悲愴

1801年(31歳) ピアノソナタ「月光」を愛する女性に捧げました。

1804年(34歳) 「交響曲第三番 英雄」を作曲

ナポレオンを尊敬していたベートーベンは、ナポレオンのためにこの曲を書き上げました。が、ナポレオンが皇帝になったときき、権力がほしかったのか!と激怒し、「ボナパルト」と題名をつけていた表紙を破り、英雄(エロイカ」に名を書きかえました。

1808年(38歳)「交響曲第五番 運命」「第六番 田園」を発表

1809年 ピアノ協奏曲第5番<皇帝>

子供を4人も抱えた未亡人との恋の破局からうまれた曲「情熱」「運命

1810年 バガテルイ短調「エリーゼのために」

1811年 トルコ行進曲(アテネの廃墟から)

 

オーストリアのウィーンに移り住んでからも、ピアノの改良が進み、鍵盤の数も増え、力強い音がだせるように進化してきました。

ピアノが得意だったベートーベンは、生涯にわたってピアノ・ソナタを作曲しました。

9曲の交響曲、32曲のピアノ・ソナタ・16曲の弦楽四重奏曲など、数多くの曲を残し、56歳で亡くなりました。

耳がきこえない

たくさんの作曲をしたベートーベンですが、20代頃から音楽家としては大変な病に侵されてしまいます。

「耳がだんだん聞こえなくなってしまう」ことでした。30代頃には、全く聞こえなくなり、弟たちにあてた「遺書」のようにもとれる手紙が残っています。(ハイリゲンシュタットの遺書)

それだけ、精神的にもつらく、追い詰められた時期だったのでしょう。自殺したいくらいつらいが、自分の果たすべきことがやりとげられていないうちには死ねない。という内容の文面があります。

しかし、ポストに投函されることなく、ベートーベンが亡くなった後、机の引き出しの奥から発見されました。

辛い時期を強い精神力で乗り越えたベートーベンは、その後耳が全く聞こえなくなってもたくさんの名曲を作りました。

 

交響曲第9番」が初めて演奏されたときには、観客の大きな拍手が聞こえず、譜面をみていたベートーベン。歌手の一人がベートーベンに気づかせてくれたという話があります。

大観衆の自分に向けられた大きな拍手。

沢山の試練を乗り越えてきたベートーベンの心にどう響いたのでしょうか。

 

 

さいごに

「ベートーベン」について調べていくうちに、ベートーベンは、ひどくカンシャクもちで

気があらかったという話がでてきます。

そのせいで、恋人とも恩師であるハイドンとも離れることになり、友達も少なかったのではないか?

という話もありますが、そうであったとしても、ベートーベンが天才でありながら、凄まじい努力をし、自分の運命に翻弄されながらも、あきらめない強い心と希望を信じ歩み続けた音楽家としての道。そういうものに触れたくて

ベートーベンの歩みを辿って、まとめてみました。

ベートーベンの曲は、学生時代に学校で音楽鑑賞するところも

多いと思いますが、私(わんこ)も作曲家の暮らしやおいたちをしっかり知った今、

もう一度聞きなおしたいと思います。

 

長女が中学2年生、3学期 学期末テストにベートーベンが出題されていたのを見つけましたので

次のページに貼っておきますね。

ご参考までに♪

→ → → 中学生 定期テスト 音楽 ベートーベン

 

 

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